以前のブログ、「同じ連隊にいた人が見つかった」のなかで、
大叔父と同じ41連隊にいた、坂本さんという方のお話を
聞き書きしたページを紹介しました。
ページ:『聞き書きの会「ききがきすと」 遠い昭和の日々を辿る』
私は、このページの記事を書いた人、
実際に坂本さんにお会いになった人にぜひお話を伺いたいと、
このページの主宰へ問い合わせをしたのです。
NPOシニアわーくす Ryoma21 聞き書きの会「ききがきすと」
そして、しばらく経ってから
坂本さんへ聞き取りされた方からメールをいただいたのです。
驚きと嬉しさが入り混じるなかで
読み進めたメールは、非常に丁寧で親切な文面でした。
そして、
「近々、坂本さんのところを訪ねる予定があるので
質問があれば聞いても良い」と書かれていたのです。
見ず知らずの私に協力してくれる厚意は、ただただ有り難く、
厚かましいとは思いながらも、疑問に思っていることを坂本さんに
質問してもらうことにしたのです。
- 大叔父のことを覚えているか?
- 収容所で食事係りをしていた刺青を入れたような人たちはどのような人たちだったのか?
- 収容所で亡くなった人の埋葬先はどこか?
まさか同じ連隊にいた人にインタビューできるとは思ってもみなかったので
改めて、高齢の坂本さんがご健在であること、
そして、このように間に入ってつないでくださる人がいるということの有り難さは、
不思議な感覚がして、何かにふんわり包まれたような気持ちでした。
数日後、坂本さんにお話が聞した、というメールが届きました。
残念ながら、大叔父のことは覚えておらず、
埋葬先に関しても知っていることはなかったようです。
刺青をした人たちのことについても、
「とにかく何か言えば、殴られた。遠巻きに見守るしかなかった」ということでした。
しかし、大叔父の収容所での死については
ほぼ回答が出ました。
終戦後の収容所で、なぜ亡くなったのかは
坂本さんの聞き書きの存在がなければ
私は知る由もありませんでした。
これだけ分かっただけでも十分な気持ちでいます。
そして、私の疑問や質問に理解とご協力をしてくださった
坂本さんのご家族、体調が芳しくないなか、回答してくださった坂本さんご本人、
坂本さんとの間に入って、尽力をしてくださった聞き書きの記者の方、
関係するすべての方へは、ただただ頭が下がります。
この場を借りて感謝の意と、御礼を申し上げたいと思います。
皆様の心遣いとこのように関わることのできたご縁に
嬉しさと感謝でいっぱいです。
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