遺骨探しのきっかけ① 還らなかった遺骨

大叔父を探そうと思ったのは

郷里の郷土史がきっかけでした。


数年前に帰省したとき、たまたま入った近所の喫茶店で

見つけた町の郷土史。

何気なく開いてみると

中世のページに、自分のご先祖のことが書かれてあり、

偶然の発見に、食い入るように読み始めました。


しかし、その日はすぐに帰らなくてはならず、

途中までしか読めませんでした。


東京に帰ってからも、続きが気になり、

気になってはインターネット古書店で探していました。


そして、ようやく見つけた古書は、なんと8,000円。

思ったよりも高額であったため、図書館で読むことにしました。

地方の郷土史が東京の図書館にあるのか疑問でしたが、

幸いにしていくつかの大学が所蔵しており、

そのなかでも、一般公開していた、東大経済学部の図書館に行くことにしました。


有給を取って、ようやく本郷の図書館を訪れたのは、

2017年の夏の終わりでした。

喫茶店での出会いから、5年が経とうとしていました。


しかし、実際読んでいくと、期待したほどの記載がなく、

少々がっかりしましたが、

まえがきに書かれた、編者による郷里の美しい自然に対する賛美と誇りには、

とても感慨深いものがありました。

長年言葉にできなかった望郷の思いをなぞるようで、

あの風景が、美しい宝物だと感じていたのは

自分だけではないと、嬉しくもありました。


そして、ふと戦争で亡くなった人たちの名簿ページが目に入ってきました。

幼い頃から祖父母より聞かされてきた

戦争で亡くなった家族の話が蘇るとともに

その人たちの記述をみようと

ページをめくったのでした。


亡くなったのは

祖父の兄で、私から見ると大叔父にあたる人でした。

太平洋戦争のページに

大叔父の名前を見つけるとともに、

強烈な違和感がわいてきたのです。


”1945年10月 比ミンダナオ島米軍捕虜収容所にて死亡”


戦争が終わってから亡くなっている?

収容所で死亡?

なぜ?

収容所が過酷な環境だったのだろうか?

まさか、捕虜虐待とか、そういうことなの?


多くの不安がこだまし、

祖父母が繰り返し言っていたことを思い出したのでした。


大叔父は南方の戦争で亡くなった。
終戦後に、国から連絡がきて
大叔父の遺骨を受け取りにいったが

箱には木札しかなく、

遺骨はどこにもなかった。


祖父母は、戦争中のことだから、骨がどこにあるのかわからなくて

探すのが難しいんだろう、というようなことを言っていました。

しかし、ジャングルで亡くなったならともかく、

収容所で、しかも終戦後に亡くなったのに、遺骨がどこにいったのかわからない、

遺骨ではなく木札が遺族に還されることが、どうしても引っかかったのです。



凄惨なフィリピン戦を生き抜いた大叔父が

なぜ、終戦後に死ななければならなかったのか?


そして、なぜ、収容所で亡くなったのか?


大叔父に何があったのか?


郷里に還るべき遺骨は

どこに眠っているのだろうか?



何か知る手掛かりはないだろうかと考え、

すぐに思い出しだのは

かつての戦地で行われている遺骨収集活動でした。


戦後70年の間、すでに日本へ持ち帰られて

どこか別の場所で眠っているかもしれない。


また、埋葬地がわかれば、自分の手で

本来眠るべき場所に、家族と同じ場所に、

還せるかもしれない。


そして、本当は生きて帰ってきたかったであろう、

この美しい郷里へ還ることができたら。


郷土史の編者も賛美した

海に沈む美しい夕陽が蘇り、

見つかるかもしれないという期待を

まぶしく照らすのでした。




遺骨探しのきっかけ② 祖父への思い




大叔父の戦跡を訪ねて -ミンダナオ島・陸軍第41連隊-

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