遺骨探しのきっかけ② 祖父への思い

大叔父は(父方)祖父の兄で、

大叔父からみると、私は弟の孫にあたります。

戦後生まれの為、もちろん大叔父に会ったことはありませんが、

家族のように親近感を持って育ったのは

両親ではなく、祖父母に育てられたことが大きいです。

幼い頃から、祖父母が大好きで、昔の話を聞くのが大好きでした。


おじいさんにはすぐ上に兄さんがおって、戦争で死んだ。
南の島で、昔は食べ物がなかったけん。
それで、戦死して骨を還してくれるいうからもらいに行ったら
なんじゃ、大きな箱に入っとったのは小さい木札だけ。
首にたすきして大事に持って帰ってきたのに。
あにさんが生きておったらなあ。


いつも陽気で明るい祖父でしたが

大叔父の話といえば、いつも還らなかった遺骨の話でした。

そして、最後は決まって、兄さんが生きて帰ってきたら。


祖父には他に兄弟がいますが、年が近いせいもあって

大叔父は特別な存在だったのかもしれません。


実際に、福山の連隊が平壌に引っ越し、

いよいよ南方戦線行きが決まると

もう会えないかもしれないと、

一人で平壌まで会いに行ったそうです。


そのときのことを祖父は、あまり語りたがらず、

朝鮮の町が汚くていかに匂いがひどかったかを言いますが、

本当にそれが兄との最期の別れになったのですから

言葉にできない思いもきっとあったのでしょう。


そして、祖父が晩年になればなるほど、

大叔父の話が頻繁に出てくるようになりました。


フィリピンで死んだあにさんがよう夢に出てくるんじゃ。
熱いジャングルのなかで、
熱い、おなかがへった
いうて言うから
おとろしなって(恐ろしくなって)飛び起きるんじゃ。


そして、その話をした数年後に

祖父は老人ホームで、ひっそりと息を引き取りました。


もともと祖父母と仲が悪かった両親が

自らは面倒みれないと

施設に入れてしまいましたが

自分の生まれた町を遠く離れた老人ホームへ入ることを

祖父は希望していませんでした。


その頃の私はというと

非自発的失業をし、次の就職先が決まらず

1年くらい無職の状態にありました。

自分のことで精一杯で

恥ずかしいですが、祖父には何もできませんでした。


このときの

何もできなかったという思いが

遺骨探しへ向いているんだと思います。


祖父が生前気にしていた

大叔父の遺骨をお墓に納めることができたら。


人はこういうかもしれません。

亡くなった人同士はね、きっとあの世で会ってるよ、

骨というモノにこだわることはないのではないか。


でも、

私は家族が異国の地に

埋められたままになっているのは嫌です。


遺骨がどうなっているのか知り、

自分ができる限りの供養をしたいのです。




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