大叔父がミンダナオ島の米軍収容所で亡くなったことを知ってから、
この収容所について調べていました。
すると、今は閉鎖されていますが、
「NPO法人戦没者追悼と平和の会による収容所埋葬者リスト」
というページがあり、
名前を打ち込むと、どこでいつ亡くなったかがが出てくるようになっていました。
元になったのは、米国国立公文書館の資料でした。
半信半疑で、大叔父の名前を打ち込むと
本当に出てきたのです。
郷土史だけでなく、米軍の資料にも大叔父の名前があったことは
とても衝撃でした。
そして、日本とアメリカ、両方の資料から同じ内容が見つかり、
郷土史の記述により確信を持つとともに、
大叔父が眠る場所がわかるのではないかという思いも強くなるのでした。
そして、このデータベースの作成に協力したのが
読売(毎日?)新聞と名前は忘れましたが東京の翻訳会社でした。
いきなり新聞社と翻訳会社に聞くのも
筋違いと思い、サイトを運営しているNPOにメールをするも、
返事がありませんでした。(遺骨収集活動に関する照会先)
米国国立公文書館の公式サイトで
キーワードを放り込んで検索をしてみるも
フィリピンの収容所とは直接関係なさそうな資料がどっさりヒットして
有益な情報はありませんでした。
そして、フィリピンの米軍捕虜収容所がどこにあり、
今はどうなっているのかを英語で検索してみるも
思ったように情報が出てきませんでした。
そして、こういうときにこそ英語力は必要なのだと実感しました。
当時、米国企業に勤務し、それなりに英語を使ってはいたものの、
英語の文献から自在に情報を得る程の英語力はありませんでした。
過去をさかのぼれば、
中学生にして英語を学ぶことに興味がなく、懐疑的でもありました。
これから外国に行くつもりもなく、何のための勉強かと思ってたからです。
まさか外資系企業で働くことになるとは夢にも思っていなかったので
英語学習は受け身の受験対策のみでした。
そして、仕事上も、付け刃的な対処で何とかなっていました。
しかし、こうやって人生でやってみたい課題が出てきたとき、
乗り切るための力になるのですね。
やりたいことがあるのに
力がなくてできないのは悔しいことです。
本国担当者とのEメールのやり取りで満足していた
英語に対する目標が
自分の中でいっきに高まっていくのを感じました。
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